こころの豆知識
自閉症・アスペルガー症候群
 「アスペっぽい」「アスペくさい」という言葉を良く耳にするようになりましたが、言動が不自然な児童や青年が診断学的手続き無しに「アスペルガー症候群」という病名で話題に上ることが少なくありません。1981年にウイング(Wing)によって大きく取り上げられた「アスペルガー症候群」は、元々は1944年にハンス・アスペルガーが論文「自閉性精神病質」が土台になっています。そして、1992年に正式に発刊したICD-10(国際的疾患分類)に初めてこの症候群ははっきりとした形で現れます。まだ、20年もたっていないうちにこれほどまでの市民権を得てしまいました。では、ハンス・アスペルガーとはどんな人だったのでしょうか?
074-h-asperger-2.jpg ハンス・アスペルガーは、1906年オーストリア・ハンガリー帝国で生まれ、ウィーンで育っています。ウィーン大学病院で小児科医として働いていましたが、治療教育部門の責任者になり、自閉性精神病質の子どもに興味を持つようになりました。その間、第二次世界大戦前にドイツとオーストリアが民衆歓迎の中、合併しました。その後、「自閉性精神病質」の論文を発表するのですが、アンス・アスペルガーはナチスの優性政策や安楽死に関わる問題にかなり配慮して、「自閉性精神病質」の子ども達が決してそのようなガス室おくりの対象にならないように切々と訴えかける歴史についてはあまり知られていません。社会的に問題を起こすも知的には優れた精神病質であって精神病ではないこと、こだわりを生かせて有能さを発揮できれば就労可能であることを強調していたようです。しかし、アスペルガーと同じ年に論文「幼児早期自閉症」を発表したカナー(Kanner)からは生涯無視され続けました。それは、カナーがユダヤ人であり、ナチスに母親と同胞を殺された歴史があり、ナチスドイツのギャラリーであったハンス・アスペルガーに嫌悪感をもっていたと言われています。実際、ユダヤ人が多くいる英米の自閉症研究者・臨床家はその後もアスペルガーについては全く取り上げませんでした。この呪縛から取れて、晴れてウィングが「アスペルガー症候群」を取り上げたのは、ハンス・アスペルガーが死去してからすでに10年足らずがたっていました。何気なく使っている「アスペルガー」ですが、実はこのような歴史があったのです。
 今の現状をハンス・アスペルガーはどう思うのでしょうか?何か皮肉めいたものを感じてしまいます。

illust510.PNG 一般の子どもであれば10のうち6か7まで教えれば、残りの8、9、10は教わらなくても会得します。しかし、高機能であっても自閉症の子どもは、目に見えない到達先は推測できません。しかし、10までおしえれば、8、9の部分は容易に納得する。こうした配慮が必要なために用意されたのが特別支援教育にほかなりません。
 アスペルガー症候群を含めた高機能広汎性発達障害の児童・青年には、その場の流れが読めないという認知特性が有ります。物事の一つ一つの部分はよくわかるが、それらに共通する特性をとらえて全体を把握する力が弱い。この特性は大人になっても存在しています。だからこそ、子どものうちに学校という社会の中で、特性に注目した対人関係の学びの場が必要なのです。

 自閉症の子どもを数年継続的にみていくと、症状としての相互的な社会的関係の異常とか、コミュニケーションの質的異常といっても随分変化してきます。4-5歳になると主治医の姿を見て駆け寄ってくるし、小学生になると、向こうから何らかの言葉掛けをしてきます。中学生になると、オタクの仲間と出かけたりすることもあります。対人的そうご関係の領域やコミュニケーションの領域で起こってくる症状を「障害」と断定するのではなく、対人関係が不器用な子ども、コミュニケーションが不得手な子どもととらえることによって、年齢に応じた指導の手がかりえられます。言語的な活動水準が高いアスペルガー症候群の子どもは、一般の子どもが友達とのかかわりが活発になる中学生から高校生の年齢になると同級生に声をかけるようになりますが、相手の考えの方向性や感情的反応を推測できないため、相手が嫌がることを平気で言ったりすることが目立ってきます。そのため、同級生が無視したりすると、さらに一方的なアプローチをしたり、以前言われたことを思い出して執拗に抗議したりします。いずれにしても、成人ではそれだけ「自閉症」らしさが少なくなってきます。